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あっちもこっちもブーメラン

3次元の無限の可能性、さぐってみます

第6回「3次元おたくと認知のゆがみ」~後半戦~

おたく 対談

※はじめましての方はまずこちらから。

認知(にんち)

タレント側、作り手側に覚えられること。
その「覚えられる」の線引きと、その事実により日々おたく達の悩みは尽きない。
認知されることを嫌うおたくもいれば、認知されることをアイデンティティとする、通称「認知厨(にんちちゅう)」と呼ばれるおたくもいるため奥が深い。

認知のゆがみ(にんちのゆがみ)

上述の「認知」により本来のおたく活動から何かがそれていってしまう状況。
精神医学で使用されている「認知のゆがみ」との言葉あそび。
医学上の「認知のゆがみ」の10パターンは下記。
「全部か無しかの考え」「マイナス思考」「~すべき思考」「極度の一般化」
「心のフィルター」「論理の飛躍」「誤った自己責任化」
「レッテル貼り」「極端な評価」「感情の理由づけ」
なんだろう、大体あってる。


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めりいさんをゲストに招いての第6回、前半戦はこちらから。
boomerang.hateblo.jp


認知によりゆがんでいくおたく達


かりん:という訳で長くなりすぎて前後編になりました、話をつづけましょー。

認知されると普通に「いいことは蓄積される」んだけど、同時に「悪いことも蓄積される」のが私たちをゆがませる原因だと思うんだよね。
自分が認知されていなくて舞台に通ってたら、行かなくなっても気にならないけど、自分が認知されて舞台に通ってた時に「行かなくなったら何か思われるのかな…。」みたいな世界からしたら凄いどうでもいいんだけど、自分からしたらどうでもよくない「義務感」が発生して来たりして、闇落ちしたおたくを私は沢山見てきた気がする。

めりい:自分がいなくなったからといってたぶん世界は何も変わらないんですけど、でもそう認めちゃうとじゃあ自分が頑張ってる意味もなくなっちゃうから、とりあえずそこに自分は必要「ってことにして」精神のバランスを保ってるおたくが身の回りにはめっちゃ多いです。
事実かどうかはさておき「自分は必要とされている」って思ってないと生きる理由がなくなるから。
認知されたおたくで深みにはまるのは、自分の生きる理由や生きてく場所を推しに依存してる子が多いのではないでしょうか。

敦子:ちなみに、話の腰をおるけれど悪いことって具体的になんだろう。

かりん:なんだろう、例えばそれこそ敦子ちゃんが言ってる「舞台中に寝ちゃった」みたいな話だとかもそうだよね。
うっかり何かをやらかした時に「自分だと認識されてる!」って思うと余計に罪の意識がつらいというか、より激しいものになる気がするのは私の思い込みが激しいからかなあ~。

めりい:わたしも舞台中に爆睡してあとで推しに謝ったタイプの人間なのでそのしんどさはとてもよくわかります。

かりん:あとはもう「覚えられている」ことが単純に辛い。「記憶が引き継がれてる」のがデメリットになってるというか。
「毎日最前で必死に通ってるのこの人わかってんだよね…ただ見てたいだけなんだけど気持ち悪くてごめんね……」みたいな「自己を認識される」ことへの恐怖が生まれたりする。

敦子:なるほどまさにな!!!あとめりいさんが言うような、他のおたくに認識されて面倒とかもわたし自身身に覚えがあるし、細かいことまであげていくときりがないのかもね。

かりん:なんか多分、気を使ってしまう所が増えちゃうのかもなとは常日頃思ってる。
「座席に座ってる客(ざっくばらん)」が「座席に座ってる私(特定の個人)」になるだけで何かとんでもないプレッシャーになったりもするというか。

めりい:それですね~。私、ホスト狂いの子が友達にいるんですけど。

敦子:ほう!?

めりい:その子から聞くんですよ。「自分が担当に気をつかわなきゃいけない、でも自分冷静に考えたら客なのになんでわたしが気を遣ってんの!?(発狂)」みたいな。
それと同じで、認知されてるとこっちは客だけど「推しのおたく」っていう肩書きを背負ってるから気を遣わなきゃいけない。客なのに。客なのに。(何度でも言う)

かりん:なんだろうね「認知されているからもっと頑張らなくちゃ、もっといい子でいなくちゃ」みたいな背伸びがはじまってしまって、それで無理をして疲れて、だからもう現場いくのやめたい!ってなるんだけど、推しを見ると「好きだ!やめらんねえ!」ってなってまた背伸びして…と言うウルトラ悪循環。

めりい:何故おたくはいい子でいたいのか…。
認知はメンヘラおたくのはじまりで、重いおたくのはじまりです。

かりん:各現場にいる強いおたくが分散されてしまったがゆえに、分母が小さいからなのかもね。「私は推しのおたくの肩書き背負ってるんだから!」という一番だめなタイプの依存が発動してしまう闇…。

敦子:わかるなー。客演とかでも普通は若手俳優3~4人いれば多いくらいだもんね。

ゆがみを加速させる「推し以外からの認知」


かりん:そこにさらに「推し以外からの認知」が介入してくるわけで。一番大きいのは「他のおたく」かな。
まあ推しに認知されていたら、現場にいつもいるおたくに認知されるというのは当たり前の状況なのかもしれないんだけど、私はいつもそれに疲れていた。
だって覚えられたらその瞬間にもう多かれ少なかれ人間関係が構築されてしまうじゃない。つらい。

めりい:現場は嫌だけど、推しは好き、っていう二律背反なんなんですかね?
ほんとは現場のことなんか気にしなくていいのに。いまはSNSとかあるからなおさら……道具は使いようですけど。

敦子:ああ確かに。劇場に行けば同じような顔が並んでるし、でも仲いいわけではないし、劇場で席に着くと視線を感じるし、という。
わたしも面倒だな!って苛々するときはある。基本全然気にしてないタイプなんだけど。
むしろ一生懸命わたしがどこに座るのか見てるおたくとかいるとファンサしてあげたくなる。

かりん:私は物凄く人の顔と名前を覚えるのが苦手だから「いつもいる誰」とかが覚えられない。勿論お話した事ある人とか交流した人はちゃんと覚えてるんだけど。
そんなんだから、前に舞台の会場出たときに凄いこっち見てくる人がいて「知り合いだっけ?」と思って手を振ったら走って逃げられてしまったことがあり…。
あとあと一緒にいた友達に「向こうはヲチってた*1つもりだったんじゃ」って言われてハッとしたりする。
あの時は無意識にファンサをしてしまっていた…。

めりい:向こうが悪意持ってヲチってたならそりゃ走って逃げますね…。(笑)
あと、アイドルなんかは基本的にずっと同じ人たちでやってるけど、俳優って舞台ごとに共演メンバーが違って、そしたら通うおたくも違って。
舞台ごとに新たな人のつながりが生まれるじゃないですが、だからアイドルよりもおたく同士の横の繋がりが強固で網の目のようにはりめぐらされてるなとは切に思う。
こことそこは共演経験あるから、誰と誰は知り合いで……じゃあそこも知り合いだよね!?みたいな。変なことするとすぐばれたくない人にばれますよね!(ブーメラン)

かりん:まさにその現象が私とめりいさん近辺で最近もおきたしね…。(笑)
そもそも「自分と推し」だけの世界のはずなのに、そこに他のおたくとか他のタレントが介入してきて、自分の行動を認識してる人が増えるのが苦しくなってきちゃうんだよね。
えっ私は単に好きな人を見に来てるだけなのに、そんな私の行動も気にされちゃう!?私がSNSで何発信してるか逐一みちゃう!?私は別に芸能人じゃないよ!?みたいな…。

めりい:超わかります~……。
舞台期間中、いろいろあって銀河劇場のセブンの前で「わたしは推し以外に興味ないから推しのおたくじゃない人にも興味ないんだよ!!!!!!!」ってキレた経験ありです。
てかもう元も子もないこと言っちゃえば自分にとって目障りじゃなきゃなんでもいいんですよ。同厨拒否とか他厨なら平気とか、いまいろいろ意見あると思いますけど、ぶっちゃけ同厨だろうと他厨だろうとわたしの邪魔してくる人が、全員、嫌い!!!!!!

かりん:名言が飛び出た!(笑)
いやーーでも私もそれだなあ。同厨、他厨、推し被りNG、独占欲強い人はだめとかそういう区分じゃなくて「私に関係ある人」「私に関係ない人」の2つでいい気がする。
私が「誰々のファン」ってカテゴライズされるのが苦手だから余計にかもな。

めりい:おたくがよく言う言葉ランキング第5位くらいに、よその現場に行ったときの「今日よそだから気が楽だわ~」「ちょう楽に見れる~」が挙げられるんですけどまさにその端的な例ですよね。
自分の現場だと楽に見れねえのかよっていう。まあ見れないですよね。

かりん:ちなみにその「よその現場」理論を適用して、本現場が消失したのが今の私だけど、本当に責任感がないので大変楽……かと思えばまあ悩みがないわけではないけどそれはまた今度。

敦子:わたしはわたしの精神世界で常に推しの立ち位置ゼロずれキープしてるんで、ここの空間通路じゃないんで、通らないでもらえます?!ってのは日常的に思ってるかな。

かりん:だめだ、お金払ってる娯楽で一体どれだけ見えない敵と戦ってるんだろうって気になってきた……。

敦子:わたしは、推し!!!(わたしは看護師!のノリで)

かりん:いいですか皆さん、これがまさに「認知のゆがみ」がおきてるおたくですよ~~~。
は~~い押さないで~~~。写真も撮らないでくださいね~~~。

めりい:おたくがそういう思考に陥りがちなの「善か悪かの二択しかない」っていう精神医学のほうの、本来の「認知のゆがみ」の顕著なパターンですよね。
自分にとってプラスか、マイナスかの2種類の人間関係しか持てない。それがこじらせたおたくの末路だ!

かりん:ていうか今ここですでに本来の精神医学の「認知のゆがみ」10パターン制覇してるよね…。

敦子:たしかに…。さっき読み返したら「おや?」って思ったけどまさに。

めりい:ここで友達と会話してたときの「観劇って趣味なんだよ」っていうシンプルな名言を載せておきます。

敦子:やばい、観劇は趣味なんだよ、ファボりたい。

かりん:ファボなくなっちゃったからね!「いいね」しないと…。

めりい:インターネットの変化は高速ですね……。

敦子:いいねとかFBかよ……いいねしたい(素直)。
「観劇は趣味」の話なんだけど、結局わたしの趣味は推しを応援すること(広義)だから、それによって出来る友達、知り合い、顔見知りってあくまで付随するものであって、利害関係で決めがちってのは仕方ない気もするんだよねー。

かりん:「利害」って言うと冷たく聞こえるけど、でも関係性ができるキッカケが自分ではない以上、それは当たり前のことなのかもね。
私は「あちこちの現場に適度なホスピタリティを求める」のが趣味な気がしてるんだけど、狭いところにいけばいくほど、多方向から認知されるスピードも早くなる。
そして最近じゃ狭かろうが広かろうが「壁になりてえ~!」とか叫びはじめるから、もう人間が関わらない趣味を見つけたほうがいいような気がしている。
まあ無理なのでこうやってブーメラン投げる人生なんだけど…。

ある種の狂気と生きる意味と認知


めりい:わたしこの前読んだエントリに、月刊「根本宗子」さんの舞台「私の嫌いな女の名前、全部貴方に教えてあげる。」のレポ兼感想があって。アレです、D2の土屋シオンくんが出てたやつ。
はしょって説明すると、脚本家の女がバンドマンと付き合うけどバンドマンに浮気されて揉める話なんですけど、その中でバンドマンには熱心なおたくがいて。CDを1000枚買ってるような。で、そのおたくと彼女が喧嘩する。
彼女はおたくをこう罵ります「あんた頭おかしい!」でもおたくは平然とこう返すんです。「頭おかしくなきゃファンやってないわよ!」って。

敦子:その舞台色々話題になってたけど見たかった!そんな話なのか!!

めりい:赤の他人を熱心に、盲信的に見返りも求めず(認知やファンサなどによる見返りはあるとしても到底わたしたちの努力には見合わない手順しか踏んでいないものです、きっと)好きになるってことは、ある種の狂気や病み、視野狭窄をはらんでないと不可能なんじゃないかなってわたし最近思ってます。

敦子:あ~確かにそれはそうだ。

めりい:そういう点で「認知」が「認知のゆがみ(精神医学)」と密接に関連した意味を持つのって文学的でロックですよね!さいこーだ。

かりん:まさかその認知とこの認知がダブルミーニングされるとは思っていなかろうって感じだよね…。
ずっと言いたかったブラックジョークだから今回話せて私もとってもサイコーだ…。
まあでも私たちもそんな人からはわからないような、時にはわかるような「ある種の狂気」を持ち合わせてるからこんな話をインターネットでしてるわけで。

敦子:わりとわたしはまわりの中だと「お前ほんと頭おかしいね」って日常的に言われるタイプだから、まわりのガチ勢がどんな心の闇を抱えているのかわからない(むしろなんでこんなまともなお姉さんがクソミソ叩かれてるんだろうと疑問)んでだけど。
わりと10歳くらいから生きることに対する漠然な不安みたいなものを抱き始めて、思春期にその不安や、繰り返される平凡な日常に耐えられなくなり暴れてみたりおたくしてみたりしてて。
そんで今の推しに出会ってからはメンタルが安定したというか、生きる希望みたいなのを見つけられたんだよね。

かりん:うんうん。

敦子:30になる前までには死にたいって10歳から思ってたのに「もっともっと推しの素敵なところを成長するところを見ていたい、だから生きよう」って思えるようになって。
まあそういう生きる意味を推しに見出してるおたくのおたく活動ははたから見たら鬼気迫るものがあるんだろうな~と自分のことながら思います☆

かりん:いいはなしだな……。

めりい:わたしは元彼とかなり最悪な別れ方をして「もう早く死のう」って思いながらずるずるメンヘラしてた時に今の推しに出会って。
「あぁこんなにも世界にはきれいな人がいるんだ、もーちょっと生きてみようかな、どうせ死ぬんだしこの人のために死のう」って思って推し変したんですよ。

かりん:なんだろう、ちょっと涙が出てきてしまった。

めりい:だからわたしがいま生きてるのって推しのためなんですよね。こんな重いおたくでほんとにごめんなさいでしかないですが(笑)。
わたしの周りの統計的にですが、メンタルが弱っているときに推しを見た人ほど推しに深く傾倒してしまうように思います。
まあ暗い顔してる人に声かける自己啓発セミナーの勧誘と大して変わんないですよね。

かりん:読んでる人の何人が離脱してるかわからないけれど、折角だから私もそういう話を…。
私もわりと現実世界の方に難があって、それで現実逃避で演劇の世界に飛び込んだわけで。
そこで初めて「人とコミュニケーションする」っていうことの喜びを知ったり、皆が自由に好きな事言っていられる心地よさを知って、そこから元気よく若手俳優界隈とかアイドル界隈に足を突っ込んだ。
そしたら結局女子のギスギスした村社会の中に飛び込むはめになってしまって。

敦子:まあどこも今は戦争だからなあ。

かりん:でもそんなギスギスした村社会の中で、やっぱり演劇や3次元コンテンツは光なんだよね。それらは光だし死ぬほど楽しいし、奪われたら死ぬのは間違いない。
私は今あまりにも漠然と大きく「演劇や3次元コンテンツ」ってなっているけれど、根本的には2人の言ってる「推しのお陰で生きる希望が見つかった」とか「推しのために生きてる」っていうのと変わらなくて。
私にとっての「推し」は3次元全体だとすると、やっぱり「推しは光」って答えになる。
でもこの辛く苦しい不況の中で、メンタルが弱りやすい私のような人間が頑張って生きていくための理由付けってそういうもんだよね、きっと。

敦子:少なからずわたしたちの中ではな…。

「推しからの認知」は「神への一歩」?


めりい:日本人ってそもそも無宗教で無信仰だっていわれてるじゃないですか。
でも世界中の大半の人たちはなにかを信仰しているわけで、人間はなにかを信仰していた方が生きやすい、ってのはたぶん間違いない事実なんですけど。
私たちはその対象が若手俳優になっちゃってるんだと思う。
でも自分なりに生きやすいならそれでいいんじゃないかな(開き直り)。

かりん:確かにどこでも「推しは宗教であり教祖」みたいな理論は展開してるよね。

めりい:ここで問題なのが、その信仰の土壌が「趣味」と呼ばれるもので、日本において世間一般的に「趣味にはさじ加減が必要」とされてる。
だから話がややこしくなるし、おたくしてるときは生きやすいけど社会にいると生きづらいっていう二律背反が生まれるんじゃないかなってわたしは思いました。

かりん:日本において宗教が重視されていない以上、そんな信仰心を持った私たちが毎日朝昼晩と推しに向かって祈りをささげている図は、ハタからみたら様子がおかしくて「変だ」といわれてしまう、だから辛い。
そして辛いから推しを追う。そして俗世間から遠ざかり…という無限地獄な気がしてきた。

めりい:これから若手俳優になりたいと思ってる君たち! 君には神になる覚悟があるか!?!?

敦子:最近その覚悟もなく俳優目指す子たち結構いますよね!!
まあ別におたくにとっての神になることは俳優の仕事に含まれないんですけどね!!!!←ブーメラン

かりん:なんていうかこの世の中の若手俳優を目指す男の子たちにこのブログを読んでもらって、そして今一度覚悟を決めなおして貰いたいところだ。(※あくまでも可哀想なおたくの極端な例としての参考資料。)

めりい:重いおたくに一方的に人生を捧げられても、それに耐えられるかどうか冷静に考え直してから事務所のオーディションを受けてほしいですね。

かりん:若手俳優になったらこんなメンがヘラってるおたくたちに勝手に生きる意味にされて、勝手に神や光にされたり、忘れてくれとか言われるんだぞ!頑張ってくれ!!!

敦子:結局なぜか認知の話が宗教論になってしまった?!
でも、古くからある色んな宗教の神様ってたくさんいるけれど、例えば神社でお願いしてみても、本当に聞いてくれているのかっていう確信って持てないじゃない。
罰当たりかもしれないけど、信じるか信じないかは、わたし次第みたいな。

かりん:あ~よくいうね。

敦子:でもおたくが自分の精神世界の中で推しを神格化してみて、信仰心を高めていった結果、神様が自分の信仰心を認めてくれること(認知)が可視化された世界ってのが今の若手俳優のガチ勢(追っかけは宗教だよ派)の現状なのかなあ、みたいな?

めりい:そういう点で、おたくって95%は勘違いで生きてる人種なのでなかなか的を射てますよね。

かりん:あとは私たちは無意識の内に推しを神として崇め奉り、かつその推しに認知されることで「自分が神に近い存在」になりえたと思い込んでるところもあるのかも。
そして「神に近い存在だから俗世間の中で浮いていても許される」という理由作りみたいなのをしてるのかもしれないね!?
でも神や光に近づけば近づくほど、自分はどこまでも人間であることを実感してしまったり、光が眩しくなったり、ロウソクで作った羽が溶けそうになったり*2、その重圧が段々苦しくなる、的な!!

敦子:これなんの話だったっけ!?

めりい:功徳を積めば教祖が覚えてくれるからみんながんばろう!ってことです!

かりん:トンデモ論が今日もまたひとつ生まれてしまった……。
私たちも徳を積めるように頑張ろう!!ただしやりすぎると羽根がとけて地面に叩きつけられるから気をつけようね!!!

敦子:今までの対談で一番世間に受け入れられるか不安な結論になってしまった…。

めりい:よだかの星*3、今一度読み返したいですね……。

かりん:実にみにくいおたくだけど、いつか推しみたいに光り輝く星になって燃え続けることは出来るのだろうか……。
そんなこんなでめりいさん今日は本当にありがとうございました!間違いなくまた呼びます!!


本日の一言


めりい
観劇は趣味

敦子
医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
新約聖書『マタイによる福音書』 9章12節から)

かりん
推しは人間、だからこそ光



後日皆さんに取ったアンケートの結果。



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お気軽にこちらからどうぞ。
 

*1:おたくがおたくをウォッチングする状態

*2:かりんはイカロスの話がやたらと好きである

*3:宮沢賢治著の短編小説、私たちのようなおたくが読むと泣ける